お通夜、家族には言いにくい事
2001年9月1日大好きなおじいさんが昨日、
脳出血で倒れて意識不明のまま20日あまり、
ついに回復することなく逝った。
享年72歳。
親戚一同が会した席で、おばあさんが言った言葉。
でも私はそのおじいさんの死が納得いかない。
上のように言うと、まるでおじいさんは
脳出血が原因で死んでしまったように思えるが、
私はそうではないと思っている。
病院側のミスで、おじいさんは死んだ。
昨日、朝におじいさん死亡の知らせを聞いて
同じ兵庫県に住んでいた私は、親よりも先に
おじいさんの家に到着した。
愛知県に住んでいる私の両親が到着するまで
3時間余り、私は冷たく、固くなった
おじいさんの横で、憔悴するおばあさんの
話をじっと聞いていた。
「おじいさんね、二日前に人工呼吸器も全部
とれてね、意識はあるかわからないけど、
呼びかけたら目が開いて、私と目があったんだよ。
ようやく集中治療室から出れて、よかったねぇ
おじいさんって話してたばかりなのに・・・。」
四日前に、私が突然見舞いにいった時も、
おじいさんの目は開いていた。
着実に回復していたのに・・・。
おばあさんはその日の朝のことを言う。
「朝早くにね、病院から電話があって、
おじいさんが亡くなったってね・・・
タンがノドに詰まってしまって、そのまま
窒息しちゃったっていうのよ。
突然、突然だったから・・・
おじいさん、独りで逝ってしまって・・・。」
おじいさんは複雑な家庭環境で生まれ、
幼い頃、自ら養子となり家を出て以来
家族にめぐまれず孤独な半生を歩んできたらしい。
だからおばあさんは、そんなおじいさんを
独り、逝かせた事が悲しくて仕方ないのだ。
しかし、そこで私は疑問を覚えた。
タンがノドに詰まったってどういうことだろう?
集中治療室にいる間は、タンはチューブで
取り除いていた。そのチューブは?
タンが詰まる可能性のある患者を、
一般病棟にうつして、心電図もつけず、
タンも放置して・・・
病院は一体どういうつもりだったんだろう。
タンはもう、つまらないとでも思ったんだろうか。
まさか。
患者は72歳の高齢。しかも意識は戻っていない。
そんなはずはない。
逝ったおじいさんをはじめに発見したのは
宿直の医者だった。
蘇生処置をしたが、駄目だったという。
私は心の中で繰り返した。
「なぜ、なぜ独りにした?!」
お見舞いに行ったとき、看護ステーションの中から
聞こえた会話が頭をよぎる。
『集中治療室、ベッドがまた足りないわね』
『少しでも良くなった患者から、移しましょう』
あぁ、おじいちゃんは、目を開けることが
出来たから、移されたのね。誰も見ていてくれない
病室に。
そんなことするなら、24時間面会許可にして。
そうしたらおばあさんや、おばさんが
ずっと寄り添って、看病するわよ、少しの変化も
見逃さず、逝かせないように・・・。
1日2時間、しかも2人までの面会・・・
そうするなら看護婦さんがずっと、見ていて。
忙しいのはわかる。
患者がおじいさんだけじゃないこともわかる。
ベッドが足りないのもわかる。
そして
病院側のミスで、おじいさんが逝ったのもわかる。
おばあさんも、叔母も、叔父も、
そういう思いは抱いていたみたいだった。
でもその思いは、彼らの口から漏らされることは
なかった。そう、彼らは病院を責めるより、
おじいさんを穏やかな思いで送り出すことに
専念していたから・・・。
だから私も言わなかった。
後から着いた、両親にも。
文句をいっても仕方ない。
きっとおじいさんは早く楽になりたかったんだ。
おじいさんは、幸せだった。
そう思うと、涙が止まらなかった。
脳出血で倒れて意識不明のまま20日あまり、
ついに回復することなく逝った。
享年72歳。
親戚一同が会した席で、おばあさんが言った言葉。
でも私はそのおじいさんの死が納得いかない。
上のように言うと、まるでおじいさんは
脳出血が原因で死んでしまったように思えるが、
私はそうではないと思っている。
病院側のミスで、おじいさんは死んだ。
昨日、朝におじいさん死亡の知らせを聞いて
同じ兵庫県に住んでいた私は、親よりも先に
おじいさんの家に到着した。
愛知県に住んでいる私の両親が到着するまで
3時間余り、私は冷たく、固くなった
おじいさんの横で、憔悴するおばあさんの
話をじっと聞いていた。
「おじいさんね、二日前に人工呼吸器も全部
とれてね、意識はあるかわからないけど、
呼びかけたら目が開いて、私と目があったんだよ。
ようやく集中治療室から出れて、よかったねぇ
おじいさんって話してたばかりなのに・・・。」
四日前に、私が突然見舞いにいった時も、
おじいさんの目は開いていた。
着実に回復していたのに・・・。
おばあさんはその日の朝のことを言う。
「朝早くにね、病院から電話があって、
おじいさんが亡くなったってね・・・
タンがノドに詰まってしまって、そのまま
窒息しちゃったっていうのよ。
突然、突然だったから・・・
おじいさん、独りで逝ってしまって・・・。」
おじいさんは複雑な家庭環境で生まれ、
幼い頃、自ら養子となり家を出て以来
家族にめぐまれず孤独な半生を歩んできたらしい。
だからおばあさんは、そんなおじいさんを
独り、逝かせた事が悲しくて仕方ないのだ。
しかし、そこで私は疑問を覚えた。
タンがノドに詰まったってどういうことだろう?
集中治療室にいる間は、タンはチューブで
取り除いていた。そのチューブは?
タンが詰まる可能性のある患者を、
一般病棟にうつして、心電図もつけず、
タンも放置して・・・
病院は一体どういうつもりだったんだろう。
タンはもう、つまらないとでも思ったんだろうか。
まさか。
患者は72歳の高齢。しかも意識は戻っていない。
そんなはずはない。
逝ったおじいさんをはじめに発見したのは
宿直の医者だった。
蘇生処置をしたが、駄目だったという。
私は心の中で繰り返した。
「なぜ、なぜ独りにした?!」
お見舞いに行ったとき、看護ステーションの中から
聞こえた会話が頭をよぎる。
『集中治療室、ベッドがまた足りないわね』
『少しでも良くなった患者から、移しましょう』
あぁ、おじいちゃんは、目を開けることが
出来たから、移されたのね。誰も見ていてくれない
病室に。
そんなことするなら、24時間面会許可にして。
そうしたらおばあさんや、おばさんが
ずっと寄り添って、看病するわよ、少しの変化も
見逃さず、逝かせないように・・・。
1日2時間、しかも2人までの面会・・・
そうするなら看護婦さんがずっと、見ていて。
忙しいのはわかる。
患者がおじいさんだけじゃないこともわかる。
ベッドが足りないのもわかる。
そして
病院側のミスで、おじいさんが逝ったのもわかる。
おばあさんも、叔母も、叔父も、
そういう思いは抱いていたみたいだった。
でもその思いは、彼らの口から漏らされることは
なかった。そう、彼らは病院を責めるより、
おじいさんを穏やかな思いで送り出すことに
専念していたから・・・。
だから私も言わなかった。
後から着いた、両親にも。
文句をいっても仕方ない。
きっとおじいさんは早く楽になりたかったんだ。
おじいさんは、幸せだった。
そう思うと、涙が止まらなかった。
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